threeeye’s blog

2016年12月4日。私は自分がプチ発達障害かもと思ったんです。

2016年12月4日

threeeye'sブログ記念すべき最初の記事です。
日付は変わってしまいましたが、私にとって2016年12月4日は特別な日になると思います。

注意:私は病院で発達障害の診断は受けていません。チェックを幾つかのサイトで行った所、自身の思っていたのとは大きく違った結果で、発達障害の可能性が高いとは出ました。
障害への知識は正直、まだほとんどありませんが、私の中で「発達障害だったのかも」と思えたことは大きな人生の一歩となりましたので、知識の浅さをどうかお許しください。もしも、発達障害の認識の曖昧さや間違いで当事者の方に嫌な思いをさせてしまったなら申し訳ありません。
ですが、私にとってこのようなブログが書けるまでに至ったのは本当に大きな飛躍で、できれば続けていきたいので、苦情などは書かないよう、宜しくお願いします。


簡単な自己紹介。
threeeye、本当はthreeeye"s"にしたかったんだけど色々あってこうなりました。
兵庫県神戸市に住んでいて、母とペット達と暮らしてます。
年齢は20代後半。
名前の由来は目の間にほくろがあって、三つ目だな~って子供のころから思ってたから。

こんな感じでいいかな。
今は溢れすぎる感情と不思議な興奮で自分が制御できないように書いてしまっているので、支離滅裂な文章になってると思います。すみません^^;



私はとても体が弱くて、寝ている時間が多い。
体がだるくて、
首や肩が常に強張っていて痛くて、
喉はいつもつっかえたような感じがする。

寝ても寝ても、寝足りないような睡魔。時々全く眠れない時期もある。
まさか、鬱や自律神経?
この、病気と呼ぶレベルには達してない程度の、なんなのだろう、体の疲れ。
生きるのがつらいのではなく、生きるのって凄く疲れる。そんな感じのしんんどさ。
だから多分精神疾患でもない。
花や動物を人よりも愛でて、人の笑顔が大好きで、それなりに楽しんでるつもり。
なのになぜかわからない、体のトラブルがずっと続いているのだ。


「大きなストレスが溜まっている」と毎度のように言われ、
ストレス性の疾患はだいたい当てはまる。
でも、その度に、私はそれが「何」なのか全く分からない。

ストレス?
身に覚えがない。

いつもそう。
自分は好きなことをしている。
大好きなペットも、母も居て、生活は楽しい。
収入も結構ある。居住環境も良いほう。
でも、これといって熱中できる趣味がない。熱中できるものを探そうとは思ってる。
仕事でストレスはあるんだろうけど、でも人並みだと思う。
重労働でもないし、残業があるわけでもない。
普通に、人が働くなら当然かかる程度のストレス。

なのに。
ストレスはいつも指摘されてきた。
生きづらいのはなんとなく、子供のころから感じてた。

部屋の掃除や物の管理やスケジュールの管理が苦手だから発達障害を疑って発達障害の本を読んだりしても、なんか違う。もちろん当てはまることもたくさんある。
それなりに人付き合いもしてる。変わり者とは言われるけど。
他人の喜怒哀楽を見ると、それぞれに深く同情する感受性は人以上だと思う。
酷いことを言ったり、傷つけることをとっさに口にしてしまうこともない。
常に「この言葉で目の前のこの人が傷ついたりしないか」最善の注意を払っている。
本に書かれてる内容とはちょっと違うから「発達障害じゃなさそう」と思ってた。
そしてその度に、怠けてしまうことや掃除が苦手なこと、色々な自分の欠点を責めた。
なぜ私はいつもこうなの?
なぜ私はいまだに成長しないの?
なぜ私は普通の人がしてることが下手なの?
欠点は何度も「克服しなきゃ!」と自分に言い聞かせたが、続かない、覚えられない、治せない。
自分自身が、私は情けなかった。
なぜこんなことができないの?
なぜすぐ怠けちゃうの?
なぜ道を覚えないの?
なぜ頼まれごとを忘れるの?
なぜ子供のころや最近のこともよく覚えていないの?
なぜこんなに人といるのが疲れるの?
なぜ信頼できる友達がいないの?

時々意味が分からなくなるほど自分を責めたり、恥じて。
納得したら、疲れを癒そうと寝る。
起きたら動物たちと楽しくスキンシップして、仲良すぎる母と楽しく笑って過ごしてる。
一度悩んでも、寝たら暫くはどうでもよくなる。


今思えば、自分が発達障害と自覚してもよかったかもしれないけど、私にはただの「ダメな自分」「怠惰な自分」「不器用すぎる自分」「変わり者」と、コンプレックスを抉る様に感じるだけで、釈然としないまま本を閉じていた。


栗原類さんが、金スマにご出演されていて、その内容に驚いた。

忘れようとしてたのか、振り返りもしなかった子供の頃の自分の思い出が蘇り、番組内で紹介された二人の発達障害の方の苦悩のどちらとも似た経験をしていた。

思い出した。

学校が始まってすぐ、貼られてる50音の表を見てなんだか楽しくなって授業そっちのけであ、い、う、え、お・・・と文字が並んでいることを喜んで声に出して読み続けた時、先生に「やめようね」と怒られたことがあった。
毎日遊ぶ子以外は顔と名前が一致しなくて、話の内容で一致することもあった。
やりたいことも、楽しいと思うことも、周りの子たちと違いすぎて浮いていた。
なぜかわからないけどいつも怒ったり泣いたりされた。
気づけばいつも「threeeyeちゃん変。皆と違う。普通じゃない。」と言われてた。

幼いころはいつも、普通ってなんだろう?ばかり考えていた。
理由がわからないのに、気づけばいつもそう言われて孤立してたのが、辛かった。
真面目に真剣に取り組むのはいいことだ、と真剣に取り組んでることもみんなと温度差が違う。皆は冷めてる、私は一人で熱心。「なんでチーム戦なのに皆サボるの?ちゃんとやろうとしないの?」と不思議に思った。
私が熱が出ないことはみんなが熱心。私以外の人全員から「なんでちゃんとやろうとしないの?」と責められた。

感受性が豊かすぎるから?
個性がありすぎるから?
みんなの楽しいことがまったく楽しくない。
授業中に内容のない手紙を送りあいっこする謎の風潮、何が楽しいのか理解できずに手紙はいつも私で止まる。
人の悪口を言って楽しむ風潮。私は誰かを悪く目の前で言われただけで過敏すぎる程胸が苦しくなる。

人の持つ「その場のノリでしょ」がわからない。ノリってどんなことかわからない。

ただ、何をしても目立つのは私だった。
家系的に顔が整って居たのもあってか、人気がなかったわけじゃなかった。
人は私の「変」を面白い、不思議、なんだか楽しい、と良い意味でも注目していた。
先生の言う「変」=「個性的」が当時理解できなかった。
私を人気者だと言う先生の言葉もよくわからない。考えても整理が付かない。
その変はいい意味で注目はされたが、人とぶつかるのもまたいつも「変」が原因だった。
言葉の選び方や、突拍子もない行動で輪を乱すことなどで、いつも集団で責められていた。
「変」と言われることがだんだんコンプレックスを感じ始めた。
ある頃から私はどうしたら目立たないか、考えるようになった。
注目が嫌になった。

ある頃から、私は無口になった。
何も言わなければ変がばれない。普通じゃないのがばれない。
やりたいこともしない。

感情も、言葉も、行動も、人に見せなければいいんだ。
そう思ってから、変と言われる回数は少し減った。
我慢できない衝動は隠せなかった。
トカゲを見つけたら手が出て優しく捕まえて頭を撫でて逃がしたり、
急に絵を描きたくなって休み時間に外で絵を描いてたら気づけば授業が始まってたり、
突拍子のない行動までは、なかなか抑えられなかったけど・・・。


中学に入ったころには、自分はモノマネするだけになった。
ノリ、も、皆がうけたら私もうける。
皆がありえないといえば私もありえないと言う。
誰かが何かしたいと言ったらそこに乗っかる。

楽しくなさすぎる毎日。

私がエンジョイしてたのはいつ?これは今までの人生でいつも思い返してた。
いつも、それは幼稚園時代が出てきた。
それがなぜかわかろうともしなかったのか、子供は気楽だからかなとか思ってた。



ただ、あの番組を見た時、何かがはじけた。
何度も巻き戻して、3回も見た。
一度目は、生き別れの父が正に「発達障害」だと思い、もう会うこともないであろう大嫌いな父でも、理解してあげないといけないんだなと思った。
私の両親は、私が8歳の時に離婚している。
父は怒るとパニック?の発作のようになり、手あたり次第物や家族に当たることがあった。
仕事もしない、服も着ない、いつも部屋に引きこもり、ナルシストで、いじわる。
凄く心無いことを口にすることもよくあった。

私は小さいころから父が嫌いだったので、父と激しい夫婦喧嘩をした後に放心状態の母が「パパ、いなくなってもいい?」と聞いてきた時、大喜びしたのを覚えている。
それくらい、大嫌いだった。
でも、今日番組を見たことで、父が発達障害だったのかもと感じた時。
幾分か気持ちが楽になった。
父が母に「夕飯の買い物をするから、その間子供を見ててね」と頼まれて小さな頃の姉と留守番していたとき、母が帰宅すると姉がティッシュを箱から全部出してちらばせて、ほかにもいろいろないたずらをしていたらしい。
母が起こって父に問いただすと「見ててって言ったから見てた」と、屁理屈をいったらしいのだ。
それは性格が悪いのだと思っていたが、違う。
番組内で「荷物を見てて」と言われた時に怪しい人物が荷物を持って行ったのを見てたというエピソードが紹介されていて、初めて気づいた。
父は性格が歪んでたというより、発達障害
私たち姉妹と母を愛さなかったのでもなく、表現できない発達障害

そうやって、発達障害かも、と、少しでも感じた人の事はこれから理解してあげよう、と使命感が沸いた。

2回、3回とみていると、自分の幼少期に当てはまると感じた。

発達障碍者には理解者が必要だと、率直に感じた気持ちに従って、
「私、少しだけ発達障害かも?」
とつぶやいた瞬間。涙が止まらなくなった。

涙が出てきて、初めて、自分を認めてもいいのだと思った。
私、とっても軽度な発達障害
へたくそだけど、なんとかちゃんと大人として生活ができるようになっただけで、私もこれに該当する?
私、わるくないの?ずっと30年近く、私は悪いんだ、私はダメなんだって責めてた。

小学校に入ってから今までは、自分として生活してなかったんだ。
「欠点を人に知られない為に真似するのみ」で自分を閉じ込めて、
心配をかけたくないから誰にも相談せず、
誰にも理解してもらわず、
それは一人で背負ってきた、一人で閉じ込めてきた、感情がぶり返した。
「自然な自分」であって、怠惰な自分でも、頭のおかしい自分でもなかったんだ、って。

栗原さんは、自分のストレートな物言いやノリが分からない突拍子もない発言を評価され、本当の「自分」を出すことで愛らしいキャラクターが大うけ。
もうお一方のピアニストの方(お名前後ほど調べて書きます)は、大好きなピアノに打ち込んで天才となり、今では多くの人を魅了している。

私は?
子供のころ、出会う人全てが私を見て驚いた。
私は4歳の頃なぜか初めて会う大人を捕まえてはこんな自己紹介をしていた。
「初めまして。私はthreeeyeっていうの!4つ(年齢)。牛の胃袋もね、4つ!」
そのあと、なぜか「・・・でもね、本当は28歳なの。4つのふりしてるの。内緒だよ。(小声)」と続くのだ。
異常な集中力と、不思議なカリスマ性、初めて会う人でも臆することなく接したり、舞台に突然飛び入りで何百人の前でも踊ったり歌ったりしてしまう度胸、驚きの発言、色々な人に「この子は天才だ。」「大物になる」「持って生まれたセンスがすごい」と会う大人はみんな私の事を話していた。
プロのパフォーマーも、私を高く評価するし、子供は大人にそういわれるのが普通だと思ってた。
誰からも注目されていた。遊園地で遊んでいたらCMに出てほしいと言われたこともあった。
そんな私は、発達障害を持って輝かしい成功を収めた二人と比べたら、何もできてない。
あれだけ初対面の縁もゆかりもない人たちまでもに愛されたキャラクターを抑え込み、「これが好き」と言う湧き上がる感情さえ見失って特技も大してない。
これはすべて、私が自分の理解者になることを放棄して自分を心の奥底にしまい込んだからだと、今日知ることができたのです。


そこで思った。
素直に、自分を出せるようにトレーニングしよう。
私はもう、自分を隠す生き方しかできなくなっていた。
どんなに文句を言われても言い返せなくなってたし、
こうして文章を書いたり、絵をかいたりしたのを人に見られるのを極端に嫌がって、
とにかく、自己表現にかかわるものを全て消す生活に慣れてしまっていた。

私が感じていた喉のつかえ感、
いつも言われていたストレスは、これあのだと確信した。
なぜなら、そこで涙を流した瞬間、ずっとうずらの卵でも喉にひっかかってるのかと感じていた程の大きな異物感がなくなったの。

嫌いな人とのコミュニケーションを完璧にこなそうとしすぎているストレス、
あまりにも極端すぎるレベルで自分を押し殺しているストレス、
肩ひじ張って、いつも警戒して、緊張して、安心する時間などないストレス、
理解者はいないと壁を作るのは終わりにしよう。
本当の自分で、上手に生きていけるようになれるように。
まずは私を認めてあげよう。私が最初の理解者になってあげよう。

そして、才能を開花させるんだ。